気ままにウィーン

おもにウィーンやドイツ語圏について気ままに呟きます。

うたかたの恋④

皇太子ルドルフとマリー・ヴェッツェラの心中事件の場所。マイヤーリンク狩猟の館(現在は修道院)です。

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私は、2009年と2016年にバスツアーで行きましたが、観光地化されていてビックリしました。

2009年の時は、添乗員さんが鍵を借りに行って内部に入るようになっていましたが、2016年に行った時は、お土産売り場(こんなの2009年の時にはなかった! とビックリ)から内部に入れるようになってた。(2014年10月にリニューアルされたそうです。)周囲は狩猟地なだけあって、緑が広がっています。

 

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(1枚目)王宮家具博物館には、マイヤーリンク事件の心中の現場となったベッドが展示されています。

(2枚目)事件後、2階の寝室を取り壊しベッドがあった真下に祭壇が造られました。

 

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マリーの柩、左)一番目の木製、右)2番目の銅製のもの。

マイヤーリンク事件直後は、急ぎだったために木の棺で埋葬されましたが、翌年マリーの母Heleneがきれいな銅の棺と取り替えたそうです。

 

色々な説のある、ルドルフとマリーの心中事件ですが、マリーの別れの手紙の発見により、事件前からルドルフとの自殺を計画していたことが裏付けされ、ルドルフがマリーを撃った後、数時間して自殺したというものが現在の有力説です。

 

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自殺した時に使用した同モデルのピストル、寝室に敷かれていたオリジナルの絨毯、ステファニーあての遺書のコピーなど、展示されています。

 

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マリーのお墓の写真です。(バスツアーだとマリーのお墓までは立ち寄らなくて、展示されてる写真を撮ってきました。)

もちろん、母への別れの手紙にあった、Allandの墓地のルドルフの横に埋葬されたわけではなく、ひっそりとハイリゲンクロイツの墓地に眠っています。

 

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(1枚目)皇太子ルドルフの死を報じたNEUE ILLUSTRIRTE ZEITUNG 、1889年2月17日版のレプリカ。遺体が、マイヤーリンクから運び出されるところとウィーン南駅(現在の中央駅)に着いたところ。

(2枚目)馬車博物館に展示されてるハプスブルク家の葬列用馬車。ルドルフだけでなく、フランツ・ヨーゼフやエリザベートもこの馬車で運ばれています。

(3枚目)現在、ルドルフは、エリザベート、フランツ・ヨーゼフと共に、カプツィーナ礼拝堂に眠っています。

うたかたの恋③

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わかりにくい写真ですが、オーストリア国立図書館プルクザール の入口前がJosefsplatz。 「うたかたの恋」の台詞から、ここの何処かに、マリーをHofburgのルドルフの客間へ案内した抜け道があることがわかります。

 

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そしてマリー・ヴェッツェラの写真でよく目にするのは、こちらの写真だと思います。
これは、2016年のフランツ・ヨーゼフ死後100年展でオーストリア国立図書館プルンクザール で展示されていたものを撮影しました。 

 

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また、こちらも2016年フランツ・ヨーゼフ死後100年展、オーストリア国立図書館プルンクザールで展示されました。マリー・ヴェッツェラの別れの手紙(母、姉、弟宛)とマリーの髪の毛です。手紙は銀行の貸金庫から発見されたオリジナルが展示されていました。100年以上前の物とは思えないくらいの保存状態の良さ!さすが貸金庫だと思いませんか?

 

【マリー・ヴェッツェラの別れの手紙】

(母への手紙)

Liebe Mutter - 

Verzeih mir was ich gethan, -

Ich konnte der Liebe nicht Wiedersehen. In Übereinstimmung mit Ihm will ich neben Ihm im Friedhof von Alland begraben sein. - Ich bin glücklicher im Tod als im Leben.

Deine Mary

 

お母様ー

私がした事をお許しください。

私はこの愛にあらがう事が出来ませんでした。私は、彼の合意を得て、Allandの墓地の彼の隣に埋葬される事を希望します。ー私は、生きているより死んでいる方が幸せです。あなたのマリー


(弟への手紙)

Mein lieber Feri -

Leider konnte ich Dich nicht mehr sehen. Leb wohl, ich werde von der - anderen Welt über Dich wachen weil ich dich sehr lieb habe. - Deine treue Schwester 

Mary


Feriへー

残念ながら、私はもうあなたに会うことが出来ません。元気でいてね。私はあなたの事が大好きだから、別の世界から、あなたの事を見守っています。

あなたの姉マリー


(姉への手紙)

Meine liebe Hanna -

Wenige Stunden vor meinen Tod will ich dir adieu sagen. Wir gehen beide selig in dass ungewisse Jenseits. Denk hie und da an mich Sei glücklich, und heirathe nur aus Liebe. Ich konnte es nicht thun und da ich der Liebe nicht wiederstehen konnte so gehe ich mit Ihm

Deine Mary


Hannaへー

私の死までのわずかな時間。私はあなたにさよならを言いたい。私達は見知らぬ向こう側へ行きます。ときどき私の事を考えてね。幸せになって。愛のある結婚をしてね。私はそれが出来なかったし、この愛にあらがう事が出来ないから、私は彼と行きます。

あなたのマリー


(姉への手紙には、長い追伸がついています。)

P.S.

Vergiss nicht den Starl den Ring zu senden, ich lasse ihn grüssen und denke sein in treuer Freundschaft. 

Der Bratfisch hat uns gestern ideal vorgejodelt, ich habe ihm meine Uhr und Mondstein Ring geschenkt. 

Die Familie Hulka ist ganz unschuldig, ich habe alles aus freiem Willen und ohne Hilfe gethan. - 

Sag dem Eder dass ich nicht singen kann nächsten Samstag. - 

Meine Schmuck vertheile ungefähr so wie du es am besten findest. - Weine nicht um mich ich gehe fidel hinüber - 

Den monsieur D. lass ich grüssen und lasse mich bei den Spatenbräu Rendezvous entschuldigen. - 

Es ist wunderschön hier draussen man denkt an Schwarzau. 

Der Philipp Coburg jagt heute hier leider ist die schöne Louise nicht mit. Denk an die Lebenslinie in meiner Hand! Jetzt nochmals leb wohl! Richtig lass die Tobisslin grüssen. Vergiss nicht alle Jahre am 13. Jänner und am Jahrestag eine Gardenia auf mein Grab zu senden und zu oder zu bringen Als letzten Wunsch einer Sterbenden bitte ich die mama für die Familie Hulka auch fernerhin zu sorgen, damit sie nicht durch meine Schuld leiden. 

Mary Vetsera


追伸、

Starlに指輪を送るのを忘れないでね。彼によろしくと伝えてね。彼の誠実な友情に感謝しています。

ブラートフィッシュ(ルドルフの従者)は、昨日、素敵なヨーデルを歌ってくれたわ。彼に、私の時計とムーンストーンの指輪を贈ったの。

Hulka一家は、全くの潔白よ。私は、全て私の自由意志で助けも借りずにしたの。ー

Ederに土曜日に歌えないと伝えてね。ー

私のアクセサリーは、あなたが一番良いと思うように分けてね。ー私の為に泣かないで、私は楽しく向こう側へ行くの。

D氏によろしくと伝えてね。Spatenbräuでのデートに行けないと謝っておいてね。ー

ここの外は素晴らしく美しくて、Schwarzauの事を思い出すわ。

Philipp Coburgは、今日ここで狩りをしているけれど、美しいLouiseは残念ながら一緒じゃないの。私の手にある命の線の事を考えてみて!もう一度言うわ、幸せになってね!

Tobisslinにもよろしく。毎年ずっと、1月13日と記念日に、私のお墓にクチナシの花を送るのを忘れないでね。そして、死にゆく私の最後の望みとして、ママに、Hulka一家を気にかけるよう伝えてね。彼らは、私の罪で苦しまなくていいのだから。

マリー・ヴェッツェラ

 

 

うたかたの恋②

写真は、王宮家具博物館にあるルドルフがステファニーと結婚した時に作らせた「トルコの部屋」の再現とステファニーの写真。

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ルドルフと結婚したベルギー王家第2王女ステファニー。

ルドルフとマリーの心中事件により、彼女は皇后となる望みを断たれ、夫のスキャンダラスな死に方のせいでウィーン宮廷から遠ざかる事を余儀なくされ、ハンガリー貴族のローニャイ・エレメール伯爵と身分違いの再婚をした。

 

ステファニーあての皇太子ルドルフの遺書、本文と日本語訳。(遺書のコピーをマイヤーリンク狩猟の館で見ることが出来ます。)

 

Liebe Stephanie!

Du bist von meiner Gegenwart und Plage befreit.

Werde glücklich auf Deine Art

Sei gut für die arme Kleine, die das einzige ist, was von mir übrig bleibt.

Allen Bekannten, besonders Bombelles, Spindler, Lautour, Szögyeny, Gisela, Leopold etc. etc. sage meine letzten Grüße. 

Ich gehe ruhig in den Tod, der allein meinen guten Namen retten kann. Dich herzlichst umarmend. 

Dein liebender 

Rudolf


(日本語訳)

ステファニーへ。

あなたは、私の現在と苦しみから解放された。あなたのやり方で幸せになりなさい。私に唯一残された、かわいそうな子供たちによくしてやってほしい。

Bombelles、Spindler、Latour、Szögyeny、Gisela、Leopoldなどなどに、私の最後の挨拶を伝えてくれ。

私は静かに死に向かう。この死だけが、私の良い名前を救う事が出来る。あなたを心から抱きしめて。

あなたを愛している

ルドルフ

 

 

うたかたの恋①

2月に宝塚の「うたかたの恋」を久しぶりに観た関係で、その関連の場所などTwitterで呟いてましたので、それをこちらでまとめておきたいと思います。

呟いた内容を寄せ集めただけなので、文章や繋がりとしてはおかしな部分もあるかもしれません。。。


先ずは、フランツ・ヨーゼフとエリザベートが新婚時代を過ごし、ルドルフが生まれたウィーン郊外のラクセンブルク宮殿。

ミュージカル「エリザベート」では、「私は誰の所有物でもない、私は私だけのもの」と“Ich Gehör nur mir(私だけに)”を歌った場所です。

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プレートには「ここで1858年に皇太子ルドルフが生まれた。」と記載されています。

現在こちらは、International Institute for Applied Systems Analysis(国際応用システム分析研究所)という非政府国際機関の建物として使われていますので、内部の見学などは出来ません。

 

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こちらは、ルドルフの超豪華なベビーベッドです。この他にも、写真は撮り忘れましたがベーゼンドルファーの子どもサイズのピアノなど、ウィーンの王宮家具博物館で見ることができます。この博物館て、シシィチケットに組み込まれているのになかなか機会がなくて、2016年にウィーンに行った際の「美術館の長い夜」のイベントの日にようやく行けて、お気に入りの博物館のひとつになりました。

 

王宮家具博物館には、皇太子ルドルフ関連の物がたくさんあります。

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こちらはルドルフの机の再現。ドクロ見ながらお仕事して…どうなんでしょう。この机の中に遺書が入ってたらしいです。宝塚の「うたかたの恋」って真琴さんの時に初めて観て(何年前や!)この机の置いてある場面先に観てたから、博物館でこの机を見た時に、やっぱりドクロが置いてある〜ってちょっと感激。

 

ルドルフとマリーの出会いの場所、ブルク劇場。 

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現在のブルク劇場(1枚目、フォルクス庭園側から撮影)と旧ブルク劇場(2枚目、右側四角い建物)。宝塚の「うたかたの恋」では、ルドルフとマリーの出会いは1888年4月、場所はブルク劇場になってる。て事は、旧ブルク劇場で出会ってる。隣のクーポラのある建物は当時のホーフブルク。

 

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現在のホーフブルクと、ウィキペディアからお借りしてきたホーフブルクの色別建造年代の図がこちらです。

こうしてみると、色々な年代に建てられた複合建築だと言うことがよくわかります。

3つクーポラが並んでるうちの、建造年代の違う一番左のだけ色が違いますね。

現在のホーフブルクの矢印の辺りにプレートがあって「ここには1776年ヨーゼフ2世の時代に建てられた旧ブルク劇場が1888年まであった」と書かれています。旧ブルク劇場は1888年10月が最終公演なので、そこで出会った設定ですね。

 

イースター

遅ればせながら、イースターの事。

イースター(復活祭)は、十字架にかけられたイエス・キリストが三日目に復活した事を記念する、キリスト教にとっては最も大切な祭。

日にちは、もともと太陰暦に従って決められていたので、年によって太陽暦での日付けが変わります。

春分の日の後の最初の満月の次の日曜日です。2018年は4月1日でした。

 

2009年でしたが、ちょうどその頃にウィーンに行ったことがあるので、少しご紹介します。

 

キリスト教を信仰していない人は、なかなか教会に行く機会はないと思います。下の写真は、2009年にハイリゲンクロイツ修道院に行った時のものです。復活祭の前なので、祭壇の十字架は布で覆われています。

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 それは何故でしょうか。復活祭前なので、キリストはまだいないことになっているからです。(中途半端な知識しかないのでこんな簡単な説明で終わらせます。突っ込まないでやってください。)

こちらの修道院にはバスツアーで訪れたのですが、添乗員さんがズバリ上記のように申しておりました!また、同じく添乗員さんの受け売りですが、布の色は、紫など順番に変えるところもあるそうです。

 

また、修道院の塔の上の十字架をよーく見て頂くと、

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横棒が2本になっています。ここには、ローマ法王直属の司教がいるというしるし。

横棒が1本のところは、司教の下、司祭がいるというしるし。

ローマ法王のシンボルは横棒が3本です。

 

イースター・マルクトも各地で開催されています。

大きなところでこちら、

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シェーンブルン宮殿でも開かれています。この巨大な卵にはビックリしました。

 

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イースター・エッグだけ販売しているお店もあったりします。

 

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お腹が空いたら食事も楽しめます。写真は、この時食べたケーゼシュペッツレ。

 

イースターと言えば、イースター・エッグイースター・バニー。

生命や復活を象徴するものとして卵。その卵は、繁栄や多産のシンボルとされる子だくさんのウサギが運んできた、とされています。

 

イースター・バニーも、

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街中でこのように鎮座して、迎えてくれます。

この写真、ケルントナー通りにあったゲルストナーのショーウィンドウを写したものですが、この場所、現在はスルーカというカフェに変わっています。

 

日本ではまだまだ馴染みのないイースターですが、マルクトなども開催されていますし、この時期のウィーンもおススメです。

 

 

 

 

 

 

 

ドイツ国際平和村の活動資金はどこから?

ドイツ国際平和村は、ほとんど全ての費用を寄付金でまかなっています。

(子どもたちの滞在には、毎日の食事から一人ひとりに合った整形外科用品にいたるまで、様々な費用がかかります。)

 

治療は、基本的には全て無償で、担当医も看護士も無償で関わってくれています。

ただ、ドイツに来てからわかった症状の治療の一部、治療に必要な高額の医療機器などを平和村が負担しなければいけないこともあります。

このような場合、病院や医師の繋がりを通して、その子どもの治療費用の援助資金を集めてくれたり、チャリティーをしてお金を集めてくれたりなど、平和村が実際に負担しなくてもいいように、病院が大変協力してくれています。

協力病院はおよそ100あり、ドイツ国内だけでなく、オランダやオーストリアにも広がっています。

私の滞在時担当した子どもで、オーストリアリンツで治療した子どもがいました。移動は、どんなに遠くても車を使っており、入院の際、明け方に平和村を出発する場合も度々ありました。

 

日本にいて、平和村の活動に協力したい場合は、三菱東京UFJ銀行の寄付金口座へ寄付することが出来ます。 
また、ドイツ国際平和村が活動するためには、衣類や整形用品、日用品など様々な物資が必要ですが、EU圏外の国からは高い関税がかかってしまうため、日本からの物資の寄付を受け付けることができません。

物資の寄付は、直接平和村本部に持ってきて貰ったり、街にコンテナを置いて入れて貰ったりして集まります。

物資は子ども達が使うもの、使わないものに分けられ、衣類など子ども達が使うものは、宿舎やサイズ別に分けられて保管されます。

子ども達が使わないものは、カーニバルで使って貰ったり、ドルフフェスト(平和村の一般公開日)で売る事もあります。

また、セカンドハンドショップなどで売って、利益を活動資金として使っています。

平和村は非営利団体ですが、寄付の物資の保管されている倉庫は、有限会社として経営して、利益を平和村に寄付しているのです。

ただ、中には子ども達も使わず、セカンドハンドショップでも売ったり出来ないものがあり、処分するしかない場合はその為の処分費用もかなりかかっています。

物資の寄付の中には、毎年12月にパケットアクションという活動もあります。

パケットアクションとは、「市民から市民の手へ」 をもっとうに、ドイツに住む一般市民によって行われます。

平和村が用意する規定のダンボール箱1箱に、基礎食品(小麦、砂糖、塩、豆や肉の缶詰) や衣料品などが市民の手によって詰められ、平和村に集められます。

基礎食品は、1年以上賞味期限があるもの、と決められています。

ある女性は、「何か甘いものを入れてあげたい」とチョコレートを探しましたが、1年以上賞味期限のあるチョコレートが見つからず、平和村に助言を求めたそうです。

説明書には、全て1年以上賞味期限があるものと書いてありますが、ジョージアでも、アルメニアでも、タジキスタンでもチョコレートは好まれています。きっと5月までには消費されるでしょう、という事でした。

後日、この女性は「更にクッキーとキャンディも入れました。」と言って、平和村にパケットアクション用に詰められたダンボールを持参したそうです。

こうして集められたパケットアクションは、平和村を通してジョージアアルメニアタジキスタンなどの寒さと貧困に苦しむ人々の手へ届けられます。

 

平和村に着いてボランティア開始!

2008年9月から2009年5月までの約9ヶ月間、ドイツ国際平和村でボランティアしました。

2008年9月から12月は大きい男の子の宿舎、2009年1月から5月は赤ちゃんから幼児の宿舎担当でした。

自分で何処がいいとか、決める事は出来ません。宿舎を統括する責任者の人が決めます。人数が足りない時いきなり、「今日は大きな女の子のところに入って」と言われ、1日だけ入った事もあります。その時には、女の子達には大歓迎されましたが・・・。 滞在期間が長くなった研修生(ボランティア)は容赦なく使われます。

そして、男性のスタッフが子ども達の宿舎配属になると、必ず“大きな男の子の宿舎”担当になります。スタッフは、子どものシャワーの面倒をみないといけないので、たとえ赤ちゃんでも女の子の面倒は男性に見させられない、という理由です。

私が途中で担当を替わったのも、11月、12月に立て続けにドイツ人男性の研修生が入ったからでした。もっとも、人数が足りなくなるとそんな事も言ってられません。その時入った男性の研修生、のちに赤ちゃんから幼児のところに応援に入って、女の子のパンパース替えをしていた事もあります。

 

2008年8月31日、オーバーハウゼン中央駅に平和村の日本人スタッフの方が車で迎えに来てくださり、お昼過ぎにドイツ国際平和村に到着しました。

荷物を部屋に入れ、敷地内を案内してもらっている時に、“大きい男の子の宿舎担当”でお願いします、と告げられました。

漠然と想像していたのは7〜8歳位までの子どもだったので、こんな大きな子ども達(7歳から上)のお世話をするのかとかなりの衝撃でした。後々、ドイツ人男性の研修生が2人続けて入って来たので、赤ちゃんから幼児(数ヶ月〜3歳位まで)の担当に異動しました 。

 

どこの担当になっても、まず一番にしなくてはならないことは、「子ども達の名前」を覚える事です。顔と名前が一致しないと、熱を測ったり、クリームを塗ってあげたりなどの処置もわかりませんし、間違えたら大変な事になります。

 

大きな男の子達の担当の時は、まさかこんな大きな男の子の面倒をみる事になるとは!という思いがあって、距離の取り方がすごく難しかったです。

そして、日本人は感情を抑えると思っているので、ドイツ人スタッフの見ていないところで松葉杖で面白半分に突かれたりなどありました。その時は、関係した子ども全員の名前を、上司にあたる職員に言って、他の子どもが見ている前(食堂)で謝罪させるという対応を取って貰いました。その時の上司がカザフスタン出身の女性で、「外国で働く事の厳しさ」を理解してくれたのは心強かったです。

赤ちゃんから幼児の担当になってからは、何もかもやってあげなくてはいけないし、危ない事をしないようにしっかり見ていないといけないので、精神的には大変でした。(はじめの頃は、いつも揃っているか人数確認していた記憶があります。)

でも、子ども達との関わりにおいては、正面からぶつかっていく事も出来たし、密度も濃かったので充実していました。

小さい子どもは、体調面のコントロールを見るのは当然ですが、(熱があっても訴えてくれないので、こちらが気づかなくてはいけません)、たくさん話しかけて、遊んであげて、悪い事をしたら正してあげる、もちろん良い事をしたらべた褒め!時に感情的になりながらも、自分なりに精一杯やってきたかなーと思っています。

そうすると、子ども達からも嬉しいお返しがあります。

ドイツ人スタッフが他の日本人研修生と名前を間違えると「違う、◯◯◯(私の名前)だよ!」と言い返してくれたり、近くにいるドイツ人スタッフよりも私の方に寄ってきてかまってもらおうとしたり、など。(ドイツ人より日本人の方が接し方が優しいから、かもしれませんが・・・)

一番感動したのは、私が帰国してからの出来事です。

私が使っていたかっぽう着を、他の研修生が着て出勤した時に、子ども達がみんな私の名前を言ってきた、と聞いた時でした。

 

平和村では、研修生(ボランティア)も職員と同じ勤務体系で働きます。

月に6日のお休みと、研修期間によって日数は変わりますが、まとまって取れる休暇もあります。 休暇の時には旅行などに行き、平和村と距離を取って過ごしていました。働いていると、その時々で悩みが出てきたり、つまづいたりします。そんな時に少し距離を取って過ごす事が出来ると、また新たな気持ちで子ども達に向き合うことが出来ました。

 

また、平和村には良心的兵役拒否者(Zivildienst)として働いている人もいます。

ドイツでは、徴兵制度(兵役義務)があります。良心的兵役拒否者として兵役義務を拒否した場合、「代替役務」として福祉や救急などの仕事に就き、これで兵役を果たしたものとみなされます。良心的兵役拒否者による社会福祉事業への貢献が大きい為、徴兵制度廃止の障害となっています。政府には、仮に徴兵制度を廃止した後で起きるこれら福祉事業の人的空白を公費の支出によって補う財政的余裕がなく、これが徴兵制度廃止を制約しています。